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例えば新幹線など、自分の足より速い乗り物に乗ると、普段歩くスピードとはかけ離れた速さでどんどん景色が過ぎていく。容赦なく過ぎていく景色の中には色々な物、人、場所が広がっている。しかし途中で通過する駅名も読めないし、街の人の表情も見えない。これを時間に例えて思うと、今この時間もどんどん過ぎていく。目に見えない一秒はどれ位のスピードだろう。今いるこの部屋、東京、日本、アジア、広がっている世界を想像すればするほどに、スピードはどんどん上がっていく。ビュンビュン景色が過ぎていく。時間というのは一定ではなくゆがむという。全体的に、客観的に捉えればもちろん一秒は一秒、一定を保っているが、個人的感覚では同じ一秒でも長短に差が生まれる。昔は速けりゃいいと思っていた。どんどん進んで、一秒でも早く、より遠くへ行こうと。しかし現実の新幹線と違い、時間は同じ速さで戻る事が出来ない。積極的に歩いていると、方々から乗車を促される。とてもありがたいことだが、ただ遠くへいけるということだけでは判断できない。どういう道のりで、どこへ向かうのか、それが大事だ。遠くの景色も素敵だろう、されど今偶然にも目の前にある景色こそ大切なのではないか