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京都の大徳寺では、日本の学生よりも海外の学生のほうが感動するという。一体どこがいいのか尋ねた時に返ってきた言葉。境内の砂利を踏みしめる音、風にさざめく木立の音、本堂にあがる時のスノコの音、シシオドシの音。静寂とはいえいろんな音が楽しめるのが面白い、という。外部から教えられる気づき△団地生まれ団地育ちの子供が、縁側のある家で寝そべりながら放ったという言葉。一体何をもって「懐かしい」と言わしめるのか。日本人というDNAなのか、知識としてなのか?堀部さんは「懐かしいという感情は、過去体験したものに再偶したときに起こる感情ではなく、自分自身を肯定できるものに出会った時に込みあがる感情と思う。」と説明してました。非常に興味深い話であります△海に面した高台に住宅を建てた時の感想。海に面して全面開口部を設けたものの、後訪したときに「海が意外とうるさいんだな」と。そこから「建築は外ではできないことをする空間」と認識して、後の「伊豆高原の別荘」ではあえて緑を塞いで壁からの光の反射で外の気配を感じさせるように△鎌倉の正五角形の家での話。堀部さんは他にも多角形の家を手がけているのですが、それは土地や条件に何も制約がないと、あれもできるこれもできる、と却ってまとまらなくなってしまうので、フォルムを決めてしまうことで自分で制約を作ってしまうらしい。「できちゃった建築」とも言っていた。後半のセッションで「気候が厳しくなればなるほど建物が美しくなる」とも言っていたけど、それに通じるものがあるかも。ちなみに、今、堀部さんは「フォルムに頼らなくても強い住宅ができるんじゃないか」と考えているらしい△よくあるピクチャーウィンドゥ。あれを堀部さんは好きじゃない、と言っていた。借りっぱなしなのがイヤらしい。借りるなら返さないと。ということで、建物の矩体そのもので風景を切り取るという見せ方も意識しているみたい。見苦しいものは見せない。道行く人にも恩恵を△再び冒頭で紹介したアスプルントの森の葬祭場に置かれていた3人掛けベンチを映して「僕の目指している建築がここにある」と。そのベンチは3人目の角度が少し内側に傾いていて、両端に座った人同士が会話できるように配慮されたとてもヒューマン愛に溢れたベンチでした